幼かった頃、
家が辛くなると外に出ていていました
自営ということもあり
家と会社の区別があまりなく
母も父も
ピリピリした感じを子供の前に出していたと思います
それが私にとっては怖かったから
従業員のおじさん、お姉さんは優しく
高度成長期に入社した中学卒業したばかりのお兄さん達は
仕事がきつくて弱いものに当たりたくなっていた感じでした
父が言葉で怒りを表現しなくとも
ピリピリしたエネルギーは伝わって来たし
母は心と態度が一致していたのだけれど
とにかく忙しく穏やかな顔を見たことがありませんでした
私はというと
そんな重たい空気を本能的に避け
外でおままごと
子どもだった私にできたことは
自分を守ること=嫌なエネルギーから離れる
生きるため、無意識にそうしていた気がします
これは、私だけがしていたことではなく
何かしら事情を抱えた弱い立場の人なら
あり得ることかと
大きくなって
理想を掲げるようになり
親に反抗するエネルギーを持つようになると
理不尽と思うことに対して
攻撃的な態度を取ったり
まだまだ本質には程遠く
物事を俯瞰してみるようになるまでの長かったこと
大人になり
子どもが生まれて
「なぜなんだろう?」の
きっかけを沢山もらうことに
そう
物事の本質を知りたい
なのに
自分のトラウマ的な経験を
子どもにはさせたくない
そんな思いが強すぎ
本質を知るどころか
親に与えられた環境の真逆を実践してしまいました
当然
過保護、過干渉、心配性
子どもはうんざりと感じるわけです
じゃあどうすればいいの?
改めて
まず私がしたことは
聞くこと・・・先入観は持たず、違う価値観も受け入れる
聴くこと・・・どんなことに興味があるのか気配をさり気なく観察
詩人であり、植物学者でもあるゲーテは
植物の注意い深い観察に始まり
《考えるように見、観るように考える》
と語っています
そのように観察する意識を持つことで
過去に感じた恐れや怒りの印象の向こうに
その人のやるせなさや
悲しみが見えてくることがあります
本当は怒りたくはなかった
そんな風に感じ始めたのです
その感覚が私の単なる主観ではなかったことが
ポリヴェーガル理論で神経系の学びを知ることになった時繋がりました。
かつて
原子生活において人間にとって外敵とされた対象は
現代において
生きづらさの原因としての
ストレスが
私たちの外敵
しかし
子どもは外敵ではなく
愛し育む対象です
お金や地位があっても
人間本来が求める安心、幸せは
もっと単純なのではないでしょうか
コメントを残す