幼い頃、大好きなロンパールーム(幼児番組)の次にニュース番組。
画像から入るそのニュースはベトナム戦争の情景。
とても怖くて、どうしたら争いのない世界になれるのか幼いながら
考えました。
大人になり、自分の平和への役割をどう担うか考え、
結論・・・地球上にある一番小さな社会、家族、その小さな社会で平和を作ること。
私の母親は間違っても決して謝らない、と言うか
間違いを指摘しただけでも、まるで全人格を否定されたかのように傷つき
機関銃のように言葉で反撃してしまう。【戦う人】
そのことで家族全員困り果てていました。
なぜ母は頑ななのだろう。
30代になり家庭と子供を授かった私は、母に尋ねました。
「お母さん私は敵じゃないよ。お母さんの子どもの頃のことを教えて欲しい。」
すると母は、
「そんなこと聞いてどうするのさ。」と、怪訝そうになかなか心を開いてくれませんでしたが、
私が何を言っても驚かないからと言うと、
吐き捨てるように幼かった頃に受けた理不尽な扱いを話してくれました。
母は農家の14人兄弟、4番目に生まれた長女。
実の母は農家仕事が忙しく、次々に弟や妹が生まれ、
母の幼少期は子供らしく甘えることなく、わずか一年生で家族全員の食事の支度をさせられ、
下の子供たちの面倒を見ないといけなかったこと。
満7歳。まだ遊ぶことも甘えることもが学びなのに。
14人の子供。日本の領土拡大、戦争へ向け人口増加計画の背景も感じます。
子供が子供らしく安心して笑顔で暮らせること。
それが平和のバロメーターで、
人に育まれ、個性を見守られ認められ、安心して育つことで気持ちが満たされる。
年老いた母に「お母さん私の娘だったらよかったのにね。」
そう話すと、こちらを振り返り、少し恥ずかしそうに笑っていました。
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