台湾備忘録 その1

2021年1月

コロナにより

世界中の人が不安な気持ちで自宅待機して過ごしていたころ、

台湾の大学に通う娘の様子がおかしいと感じ、

単身、台湾に向かいました。

向かう1ヵ月ほど前から

連絡が取れない日が何日も続いたり、

学んでいる大学の屋上から飛び降りた人がいたことを伝えてきたり、

「自分の心の灯が小さくなっていく感じがする。」

そんな話をしたり、

声に覇気を感じられない。


放っておけず渡航を決めました。




娘の不安定な状況を伝え、

特別にビザを発給していて頂けて本当にありがたかったです。

まさかこんな時に海外にむかうとは。


誰もいない空港。

台湾に向かう飛行機には数人の乗客。

キャビンアテンダントさんの数の方が多かった気がしました。


桃園空港に到着し、2週間の隔離後、

娘がホテルまで迎えに来て顔を見た時、

元気そうで乱れなくちゃんとしていることに、

ほっとするより驚いてしまいました。

命の心配までして台湾まできたのに、、、。

でなければこの時期、

日本から駆け付けなかったと思います。

これで良かったのか疑問に感じてしまいました。




平然として見えた娘の姿は仮面だったと、

3か月後知りました。

ビザの有効期限が切れるので帰国準備をしていた私に

何度も何度も、

「あ~もう帰っちゃうんだね。」

と、娘。




後から知った隠れ鬱という病院の診断が、

どういう症状なのか理解していなかったのと、

触れてはいけない気がして、

聞けずにいました。

台北の街に出かけると2万歩は一緒に難なく歩く。

歩けることが楽しいと話す娘。



娘が抱えていることに気づきもせず、

過ごす時間と街の景観を楽しんでいた私。

出かける時は、

かなり遠くても地下鉄も電車もほぼ乗らずにいました。

中国語での電話もほとんど聞いたことがなかった。



娘はパニック障害を私に隠していました。



何一つ気づくことなく帰国まで2週間を過ぎたころ、

何気ない会話からそのことが明らかになりました。


私は中国語も英語も苦手なので、

レストランに予約の電話をしてくれるよう娘に頼みました。

しかし、

いつまでたっても電話してくれない。


私の帰国まであとわずか。

コロナが落ち着くまではいつ会えるか。

思い出作りになればと考えた機会なのに。


娘は幼いころから、

宿題や頼んだことをよっぽどでない限り、

後回しにしたのを見たことがなかったので、

思わず、

「言葉が話せるのだから、予約なんて簡単でしょ。」

そう言うと、


娘の抑えていた感情が一気に溢れ出て、

大声で泣きながら、



「それが出来ていたら、とっくにしてる!!」と。


一つは、

心配かけてはいけないと気を使っていたこと。



もう一つは、

頑張っても頑張っても前に進んでいない感じがする自分が

不甲斐なくて、プライドが許せなく行き詰っていたこと



一年足らずで、

ネイティブに近い言葉を習得し、

日常会話で困ることは全くなかった。

けれど、

台湾全土、世界中から優秀な学生が集まる大学。

学部を二つ、三つ、掛け持ちし卒業の学位をとる。

留学中に他の国の大学に国費で留学する学生も少なくない。


要するに、

娘は人生初めての挫折を経験したのでした。


そして私の目の前には、

やっと、

怯えている小さな娘が現れた訳でした。



『台湾備忘録 その2』へ続く。


















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