託すということ

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『託す』その感覚

子どもを託してみたのは
次女が2歳の時

私の母が3階建ての建物から転落し
2日間見つからず
3日目にして発見され


その当時
母が搬送された病院近くのナーサリーに
預けました。


大泣きされる経験も
それが初めて。


保育士の先生からは
日に日に落ち着いていく様子と


備え付けの大きな遊具やおもちゃで
元気に遊んでいる様子を伺い
やればできるんだな~と
ほっとしたのをおぼえています。



転落した母の記憶が曖昧。
傍で話すことで記憶を取り戻すことに繋がればと
病院に向かっていましたので、
安心して預けられたのことで
母のサポートも心置きなくできました。
更には
次女の気質も先生に教わることができ
その後の子育てにとても役立ちました。



保育士の先生がもともと建築の勉強をしていた方で
何というか
空間を捉えるように
子どもたち全体を俯瞰しつつ
それぞれの子の特徴を把握していたこと。



母の転落事故でしたが
思わぬ子育ての恩恵、ご縁でした。



幼稚園、小学校、中学、高校
病院、習い事、
発達特性があったり、鬱になったり、
二人の娘たちは
沢山の先生や大人にお世話になりました。

次女が留学を決めアメリカに旅立った時
『あっ、何かあってもすぐには助けられないんだ。』


行ったこともないアメリカと
お会いしたこともない
ホストファミリーに託した瞬間でした。


『託す』
ということは
『信頼し手放す』
ことでもあります。


子どもの生命力を信頼し
母子分離の一歩



親が自分を信頼する始まり
でもあった気がします。


『私の子供は大丈夫、私の子供だから』


時差18時間
どんなに離れていても
その気持ちを持ち続けることは
離れて暮らす子供のお守りにも
親自身の自立にも繋がります。

一見すると
根拠ない自信です。


ものごとを決める時
この決意に似た内側から溢れる気持ちが
未来を創り、ことを進めていたと。



アクシデントのない無難な日常もありがたいけれど
何かあった時こそ
大きなギフトが隠れているものです。












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