先日、子育ての背景について話す機会があり、その中でいつの頃から
「学校経営」という言葉が聞かれるようになってから、かつての学校ではなくなって
しまった気がする。そんな話がでてきた。
私が小学校に通っていたころは、人情味の熱い先生がたくさんいらして、
子供たちが自信を持つため、その子に合う言葉や機会を絶妙なタイミングで投げかけてくれた。
時には放課後、先生と工作を作ったり、クラス対抗の雪像づくりをみんなでしたり。
給食も子供たちの様子をよく見ていてくださっていたと思う。
気の強い子、優しい子、おとなしい子、
それぞれの個性を理解しつつ、成長するタイミングを理解してくれた。
もちろん学級全体をまとめ、信頼し合うことで子供たちのやる気に繋がっていた。
今も個々の特性を理解し、少し待つことで安心を与えようとしてくれる先生もいる。
がしかし、管理教育の名の下でイレギュラー対応とされ、先生同士の印象はあまり芳しくないのではないでしょうか。
いつから学校は効率を求める場所になってしまったのだろう。
良い学校に進学させてあげることだけが、大人になった時、唯一無二の幸せだと本気で
思っている大人がたくさんいるけれど、
本当に、幸せはそこにあるのだろうか。
幸せに生きるとはどういうことか、、、。
自分にとっての幸せを知らなければ、いつまでも不安な気持ちを持ち続けるでしょう。
せっかく生きているのなら、子供たち自身に幸せについて問い、考えるさせることが
必要だと私は思います。
机上の学びだけでは、難しいでしょう。
長く難しい問だけれど、一つ一つ紐解くことで、自分の気持ちを知ることができる。
自分が決めたことなら、今を頑張りながら楽しめる。
身に着けたことを一度手放し、
自分だけの哲学を胸に未来を目指す。
子供たちを信頼し導けているだろうか。
ゆだねられているだろうか。
全部の大人たち。
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